墓参りの必需品はろうそく、花、そして(宴会用の)食べ物である。墓地の外、入り口、そして中はろうそくを販売する店や人で溢れる。通常は白だが華僑は赤を好む。
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献花も墓地で購入できるが、持参して来る人が多い。花の産地は高原の Busay 地区が有名である。
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万聖節は特に賑やかなわけではないが、厳粛な祭でもない。上のふうせんには「All Saints Day」、つまり「万聖節」と書かれている。
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墓参りの際には墓の手入れが欠かせない。公共墓地では、多くの子供や若者が修正の仕事を請け負う目的で、墓参りに来る人に声をかけてくる。白いペンキを塗り、剃刀などで汚れをキレイに落とす。
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墓地内のあちこちには飲食業の業者が陣取っている。日本でお馴染みのケンタッキーやダンキンドーナッツもあったが、上はフィリピン独自のピザ屋チェーン店「Greenwich」の出店だ。後方に見えるのは4段型の墓だ。
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亡くなった妻を想うひととき。セブ市では、労働者階級の墓は、通常、4段型である。
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他の家族よりいち早く墓地入りし、日除けを設置した若者。ポンズが厳しい陽射しから肌を守ってくれるのは、本当らしい。
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お墓を整備したあと、家族全員でろうそくを捧げ、お祈りをする。
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やはり4層の墓。平地がいっぱいになると、遺骨はこのタイプの墓に移転されることもあるが、直接葬られることが多い。[拡大]
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故人と一緒に眠る男を見かけた。他の家族の到着を待っているのだろう。
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霊廟内で焼き鳥の昼食をとっている子供たち。万聖節の日は、ご馳走が出る。上流階級では豚の丸焼き、普通の家庭の場合でもバーベキューくらいは出る。
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フィリピンでは、貧富の差は激しい。裕福な家は、2階建て、電気はもちろん、駐車場や水洗便所まで完備した霊廟を立てたりする。悪趣味とも思えるだろうが、日本では昔、上のような立派な霊廟もちっぽけな小屋に見えてしまうような巨大な墓が流行っていたことを忘れてはならない。
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霊廟をしっかり管理しないと、「スクワッター」と呼ばれるホームレスに住居として使用されてしまう。上の男性は撮影を許可してくれたが、犬や鶏までを飼っている家族もあった。万聖節は持ち主が久々に現れ立ち退きさせられる可能性があるので、なかなか落着かない。
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セブ島には多くの華僑が住み、経済の約7割を責める。華僑は日本人の感覚からすれば、派手なデザインの霊廟を好む。
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皮肉なことに、彼らにこそその経済的な余裕があるのに、華僑は墓の手入れや掃除を人に委託せず、必ず自分たちで行う。華僑はろうそく以外に、赤色のお線香も用いる。火を付けた後、両手を合わせながら線香を持ち、三回お辞儀をする。黙祷後、普通に振る舞う。故人が最近亡くなった場合は白を着るが、通常はカジュアルな服装でOK。
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霊廟の入り口のシーサーを感心しながら撮影していると、「そいつはプラスチックだけど中には石からできたやつもあるよ」と教えてくれた華僑の親切なおじさんに、「あなたも入って下さい」と頼むと、モデルとして娘を動員した。華僑の子供は素直に親の言うことを聞く。すぐさまシーサーの横に笑顔でポーズしてくれた。
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こちらも華僑の霊廟。ろうそくが燃え尽きる寸前、午前1時ごろに撮影したが、今にも中国特有の跳ねる幽霊がピョーンピョーンと現れそうな雰囲気だった。 [拡大]
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墓地は日中でも多くの人で賑わうが、涼しいせいであろう、日が落ちてから本格的に込みはじめる。信心深い人や、故人が一年以内亡くなった場合、墓へ直行せず、まず墓地内のチャペルでお祈りをする。ろうそくに火を付け、何分間か黙祷する。
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墓地では食事はもちろん、トランプや双六を楽しんだり、カラオケを歌ったり、ノート型パソコンを墓石に載せ、洋画のDVDを鑑賞したりまでする。とにかく、亡くなった人と時間を過ごすことが大事である。
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カトリック教が主流のセブ島であるが、万聖節・万霊際は日本のお盆に等しい。本来、11月1日は万聖節(All Saints Day)、つまりカトリック教で存在する多くの聖人(例えば「聖ヨハネ」「聖マルタン」等)を崇拝する祭りで、2日は万霊際(All Souls Day)、つまり亡くなったご先祖様のために祈りを捧げる日である。よって、本来、1日は教会、2日は墓地で過ごすべきだが、フィリピン人は実際には聖人はそっちのけで、1日も2日も墓参りで忙しい。
セブ島に生まれたのならば、国内のどこにいようともこの日ばかりは帰省し、親や祖父母、親戚、そして親しかった人の墓をハシゴする。万聖節・万霊際はフィリピンで最も大きなお祭りと言えよう。神様に対して拝むときであり、霊前で故人を想うときであり、家族や友人と宴会を楽しむときであり、そして通常は会う機会のない親戚とゆっくりコミュニケーションを取るときでもある。
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