セブ島に住んでいる民族はビサヤ人で、首都圏にすむタガログ人と民族的に異なる。話す言葉もタガログではなく、ビサヤ語である。
しかし、学校で子供たちが教わるのは国語のピリピノ語と英語である。ピリピノ語とは日本の標準語に等しいが、マニラの役人どもが造成したこともあって、ほとんどタガログ語と同一である。そのため、セブ島ではこの言葉を「ピリピノ語」と呼ばず、「タガログ語」と呼ぶことが多い。タガログ語とビサヤ語は共通する単語がないわけではないが、ボキャブラリーもイントネーションも大きく異なり、方言ではなく独立した言葉を構成する。
公立校の場合、教育的水準が低いため、タガログ語も英語もろくにできない人が多い。労働者であればタガログ語も英語もできなくて当たり前である。なお、フィリピン人であれば誰でも英語ができると勘違いしている日本人が多いが、フィリピン人でさえ、本当の事情を理解していない場合がある。
セブ島に住むビサヤ人はタガログ語を好まず、そのため可能であれば公用語として英語を使用する。役所、裁判、ビジネス文書、そしてメディアでは英語が使用される。マニラの連中は横柄で、この事態をまったく理解せず、セブ島に来ても平気でタガログ語でしゃべりだす。
セブ人同士の場合は会話ではプライベートでもビジネスでもビサヤ語が使われるが、ビサヤ語はなぜか下品な言葉とされている。そのため、中産階級や上流階級のセブ人はマイクを握れば必ず英語を使用するし、家族間の場合でも手紙は必ず英語で書く。
さて、ビサヤ語はセブアノ語とも呼ばれるが、セブアノ語は主に都市部で使われる、元のビサヤ語の変形と考えてよい。セブアノ語には多くのスペイン語と英語の外来語が加わっているが、本当のビサヤ語は、外来語はあるものの、セブアノ語に比べればかなり少ない。ビサヤ語は学校では国語として教えられないだけでなく、中学以上のレベルではまったく使われないこともあって、本当のビサヤ語を話すのは英語やスペイン語と接触が少なかった高原地帯の住民や都市部の貧困層に限られている。彼らが話すビサヤ語は都市部の中産階級・上流階級に理解されない場合が多い。
一般的なセブ人、つまりある程度教養のあるセブ人の場合、それなりの英語は話せるが、ビサヤ語を話す場合は必要以上に多くの英語の外来語が混ざっており、めちゃくちゃである。それでも英語は疲れるので敬遠し、日常はセブアノ語(つまりめちゃくちゃなビサヤ語)を使う。例えば、大卒が農民と会話する機会があれば、農民が純粋なビサヤ語を使用すると、「お宅のビサヤ語は深いよ」と言って大卒は理解に苦しむ。同じく、農民も英語の混じった大卒の発言を理解できない場合が多い。
日本人としてセブ島の社会に溶け込んで生活するならば、どの言葉を磨くかは、予算、日本におけるポジション、そして現地出身の配偶者がいればその配偶者の社会的地位によると思われるが、いずれにしてもタガログ語を覚える必要はない。中産階級や上流階級と交流するならば英語を磨き、なおかつある程度セブアノ語も覚えることを推奨する。しかし、大衆とだけ接触して生活するのであれば、英語は放っておいて流暢なビサヤ語を話せればよい。労働者階級のセブ人は、外国人がタガログ語や英語の代わりに流暢なビサヤ語を話すと、非常に喜んでくれる。