セブ島のマンゴーは主に、内陸部の山岳地帯で作られる。中でもタランバン地区の奥地のマンゴーは甘くて有名だそうだ。産地ではまず、農薬を木に吹くつける。一昔前までは枯葉の煙を使用したそうだが、今はドラム缶で農薬と水を混ぜ、木に噴射する。作業はまず、ドラム缶で水と農薬をまぜることではじまる。
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非常に長いホースが必要だ。このホースはポンプから樹木まで、数百メートルもあった。
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農薬を噴射すると近くにいる人がずぶ濡れになるためか、この人は一人で作業していた。一気に何本の木も処理する。登ったり降りたり、結構キツイ仕事だ。種類の異なる薬物を5〜6回、数週間に亘って吹き付ける。
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最後に、1回だけ、農薬でさえ届かない寄生虫がいるためか、木に煙を通す。
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噴射作業が終わり、やがて、木に花があらわれる。セブ島では年に2回咲くはずだが、咲かないときもある。また、隣同士の木でも、一本が咲き、一本が咲かないこともある。花が咲くと、あたり一面は上品な甘い香りに包まれる。香りは観光客にお馴染みのプルメリアに似ている。
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マンゴーの花は極めて小さい。5枚の花びら、見えますか?わからない方はこちらをクリック。
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花が散って、赤ちゃんマンゴーの誕生だ。はじめは丸いが、すぐにマンゴー独特の形になる。ちなみに、セブ島では顎が長い人の顔を「マンゴー面」と言う。
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果実を鳥などから守るため、古新聞紙で作った封筒で包む。高原の人たちは古紙を100キロあたり600ペソ(約1500円)で買い取るが、この大金は(農薬の支出と同様)借金で賄う。女子供が切って折って封筒を作る作業をし、男たちは木に登ってホッチキスと竹でできた爪楊枝状の棒で果実を包む。なお、古紙はなぜかいつもアラビア文字が綴ってあり、わざわざ輸入されていると思われる[詳しくは「番外編:国際古紙の謎」を参照]。
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収穫時には村が総動員で重たいマンゴーをトラックまで運ぶ作業を手伝う。この時点でマンゴーは鮮やかなミントグリーンだが、数日置いていると黄色くなり、食べごろだ。
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マンゴーの木はとにかく大きい。高原の男たちは何の安全具も使用せず作業をする。身軽に枝から枝へと移りながら手際よく作業するが、遠くから眺めていると、彼らはまるで反重力装置を使っているようだ。もちろん、実際にはそうではない。毎年、無数の死傷者がでる。この男は2000年に収穫作業の際、枯れ枝が折れ、腕を負傷し、現在手は逆にむいている。当該する木まで案内してもらい、ポーズしてもらった。
奇妙なことに、彼を取材した翌日の朝、彼の弟が果実を包む作業をしていた際、やはり木から転落した。意識が朦朧とする彼を最寄の私立病院まで運ぶと、ようやく意識が戻ったが、右足が動かないとうったえた。レントゲンは2300ペソ以上ととても手が届かず、国営病院まで移動することにした。しかし、国営病院では、地方の患者だけ扱っており、セブ市の患者は受け入れないため、入院を断られた。(タランバンの山々は市街地から1時間以上離れているが、地図上セブ市の管轄内に入る。)やむを得ずセブ市営の病院まで再び移動すると今度はレントゲンのフィルムがないため撮れない、と伝えられた。「国営病院など、よそでフィルムを調達すれば、ここでレントゲンが撮れます」とのこと。仕方なく国営病院まで戻ったところ「フィルムの転売はありえない」と却下された。
皆さん、マンゴーを召し上がる際は、必ずこのように大きな代償を払っている男たちがいることを忘れてはならない。マンゴーの本当の値打ちは、市場で要求される価格ではなく、山岳地帯の男たちが体で払っている値段である。
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フィリピンのマンゴーは有名で、セブ島のマンゴーはとりわけおいしいとされてきた。観光中、完熟マンゴーを食べたり、土産として乾燥マンゴーを持ち帰る人も多いでしょう。しかし、マンゴーがいかにして作られ、どのような物語が背景にあるのかは、日本からの観光客の皆様はもちろん、都市部のフィリピン人でさえ知らない。
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