英国やインドほど厳しくないものの、フィリピンにも階級があります。セブ島の人たちと付き合う以上、民族と階級の違いを理解する必要があるが、階級に関してはまったく知らない日本人が多い。それもそのはず。日本では階級はあまり意識されず、セブ島でも「階級」を口にする人はいない。
しかし、セブ島の人であれば、パッと見ただけで、誰がどの階級に属するかを一目で把握する。日本人には全然理解できない場合が多い。例えば、万聖節・万霊際の際、墓参りをする人々の写真を撮っていたが、右もその写真の一つである。事情を知らない人であれば、墓参りする二人の女性しか見えない。セブ島の人であれば、華僑のお嬢さんが召し使いを連れていることがわかる。上品な服装を纏い、高価なバッグを抱えているのが華人女性、献花を運んでいるのが「ヤヤ」、つまり彼女のメイドさんだ。
このとおり、階級を見分ける方法として、身だしなみが重要である。よって、セブ島の中産・上流階級の女性は、カジュアルな服装が適切な場合でも、「これじゃヤヤに見えてしまうわ」と言いながら、必ず着替える。その文句の言うとおり、セブ島の人は、まわりに下の階級の人間として思われることを最も恐れている。
階級を意識しているのは女性だけではない。車の助手席に荷物があるためなど、後部座席に乗ってくれと軽く言うと、セブ人は「それじゃ貴方が運転手に見えてしまう」と言って強く抵抗する。当初、この事態をまったく理解できず「運転するのはオレだから運転手に見えて当たり前じゃないか」や「見えたってかまわんが、いずれにしても窓にはスモークがあって外から見えないし、何なんだ」と答えたりした。後になってやっと分かったが、彼らは私が下層階級の役割をはたすことに対して強い不快感を感じていたのである。
服装以外に、階級を定める基準として、言葉がある。英語ができればできるほど、属する階級が高い。当初その理由をまったく理解できなかったが、中産階級の人たちはよく、英語がうまく話せない下層階級の人の文法や発音を欺く。例えば、飲食店のホールスタッフは通常、労働者階級に属するが、ウエイトレスがテーブルで離れると客が彼女の発音を笑いのネタにしたりする。自分たちの英語でさえそんなに流暢でないのに、教育的にも恵まれなかった人をなぜそうやって笑うのだろうかと不思議だったが、それは、自分たちが上の階級に属することを強調し、差をつける意味で笑っているわけだ。
なお、上流階級と中産階級の上層部の大半は「メスティソ」、つまり白人との混血であり、他のフィリピン人に比べれば色白で髪もくせがない。階級が高ければ高いほど、白人の血をひいていると言えよう。しかし、いわば「人種」が階級の基準であるわけではない。色が黒くともカネがあり英語が堪能であれば上流階級に属し、いくら色白でも貧しくて英語ができなければ「大衆」つまり労働者階級に属する。
また、英国やインドと異なって、階級間の移動は不可能ではない。スペインに支配される前からも、奴隷から自由市民や上層階級への出世が可能だったときく。
セブ島の階級は大きくわけて、労働者階級、中産階級、上流階級、そして華僑の4つである。この他に、白人や日本人などから成る外人層もあるが、他の島で残っている原住民の部族はほとんどいない(ナーガ町には他の島から移り住んできた原住民が数百人程度存在する)。
市場で見かける人は主に労働者階級で、モールでみかける人はたいてい中産階級か上流階級だ。なお、上流階級の多くは大金持ちで、なかには今でも家庭ではスペイン語を話す純スペイン系の家も残っている。華僑は上層階級や中産階級の上部と並ぶが、習慣などもかなり異なり、家では中国語(福建語)を話す。華僑がフィリピン人と結婚することはよくあっても、華僑と純スペイン系はお互いを嫌っていおり、結婚に至ったことは一度もないようだ。ちなみにアヤラモールとSMモールが商業的な競争以上にライバル意識を持っているのは、前者の所有者がスペイン系の財閥で、後者の所有者が華僑であるためだ。
英国では中産階級と上流階級との境目が最もはっきりしておりいくら頑張っても超えられないが、セブ島ではこの境目はうやむやで、労働者階級と中産階級の境目ほどはっきりしており、なかなか超えられない壁を成す。労働者階級のほとんどは英語がまったくできず、そのため経済的にも政治的にも社会に参加できていない。
フィリピン共和国は独立当時から上層階級に支配されてきた。最初の例外として大統領に赴任したのは俳優の「Erap」こと Joseph Estrada 氏だったが、大統領として無能だったこともあって上流階級・中産階級・華僑の働きにより外されてしまった。彼に続いて同じく俳優の「FPJ」こと Fernando Poe 氏が2004年の選挙に出馬したが、惜しくも負けてしまい、あげくのはてに脳梗塞で倒れてしまった。